2026/08/21 10:00
現在、ドイツ・アーヘンでは「FEI World Championships Aachen 2026」が開催されています。
前回はこの世界選手権を競技結果とは少し違う角度から見て、
競技会場の「音」と馬のウェルフェアについて取り上げました。
今回はもうひとつ、今大会で気になったことがあります。
☀️ それが「暑さ」です。
8月14日に行われた馬場馬術のグランプリスペシャルでは猛暑が予想されたことから、
なんと競技スケジュールそのものが変更されました。
暑ければ馬をしっかり冷やす。
水をかける。
日陰で休ませる。
そうした暑熱対策は私たちにとっても身近なものです。
でも世界選手権ではそれだけではありませんでした。
「最も暑くなる時間帯には、そもそも競技をしない」
というところまで踏み込んだのです。
今回はアーヘンで実際に行われた暑熱対策を見ながら、
馬にとっての「暑さ」について考えてみたいと思います。
⏰ 世界選手権で競技時間そのものを変更
8月14日の馬場馬術グランプリスペシャルは、当初10時50分ごろから始まる予定でした。
ところが猛暑が予想されたため、開始時刻は8時30分へと大きく前倒しされました。
さらに気温が高くなる昼間には長い中断時間を設定。
12時30分ごろから15時ごろまでは競技を行わず、
暑さが少し落ち着く時間帯に再開するスケジュールへ変更されました。
「今日は暑そうだから、少し早く始めよう」
という程度の変更ではありません。
朝の涼しい時間帯をできるだけ使い、最も暑くなる時間を避けるよう競技全体の流れを組み直したわけです。
しかもこの判断は、大会運営だけで簡単に決めたものではありません。
審判長やテクニカルデリゲート、獣医委員長、大会組織委員会などが
気象情報と獣医学的な助言をもとに検討しました。
そのうえで馬のウェルフェアを考えて決定しています。
世界選手権という大きな舞台でも「予定どおり競技を進めること」より
「馬にとって安全な時間に競技を行うこと」が優先されたということになります。
🤔 でも、同じ日の総合馬術は予定どおり?
ここでとても興味深いことがあります。
同じ8月14日には総合馬術の馬場も行われていました。
こちらにも昼の休憩時間は設けられていましたが、
馬場馬術のグランプリスペシャルのような大幅な時間変更は行われませんでした。
同じ場所。
同じ日。
同じ暑さ。
それなのに、なぜ馬場馬術だけ大きくスケジュールを変更したのでしょうか。
「同じ馬なのだから、暑さへの影響も同じなのでは?」
と思う方もいるかもしれません。
ところがFEIはそこまで単純には考えていないようです。
🐴 馬場馬と総合馬では、暑さの影響も同じではない?
FEIの獣医・馬福祉部門を担当するGöran Akerström氏は、
馬場馬と総合馬では体格や筋肉量、運動の内容が違うことを説明しています。
一般的にトップレベルの馬場馬は、しっかりとした筋肉量を持っています。
そしてグランプリレベルの演技ではピアッフェやパッサージュ、
収縮した駈歩などで全身の筋肉を継続的に使います。
筋肉が活動すれば、そこから熱が生まれます。
人間でも運動すると体が熱くなるのと同じように、馬も運動によって体内に熱を作ります。
つまり暑さを考えるときには単純に、
「外気温が何℃なのか」
だけを見ればいいわけではありません。
「どんな体格の馬が」
「どのくらい筋肉を使い」
「どのような運動を」
「どのくらいの時間行うのか」
によっても体の中にたまる熱は変わってくるということです。
一方で総合馬は、一般的に馬場馬とは体型も運動特性も異なります。
そのため同じ気温でも、競技内容や馬のタイプによって暑熱リスクを分けて考える必要があります。
ここまで細かく判断されていることは、少し意外ではないでしょうか。
🌡️ 「何℃だから危険」だけではない暑熱対策
暑い日の馬の管理というと、どうしても気温に目が向きます。
「今日は30℃を超えている」
「35℃だから危険」
もちろん気温はとても重要です。
ただ馬が実際に感じる暑さには、湿度や日差し、風、運動量などさまざまな条件が関係します。
さらに馬自身の体格や筋肉量、コンディションによっても違いがあります。
そのためアーヘンでも単に天気予報の最高気温だけを見て判断しているわけではありません。
大会期間中は気象条件を継続的に確認し、馬の状態と合わせて判断していました。
「何℃を超えたら一律に中止」
という単純な考え方ではなく、
「その環境で、その馬たちが、その競技を行ったときにどれくらい負担がかかるのか」
まで考えているのだと思うと、暑熱対策の見方も少し変わってきます。
🧊 会場には氷水と冷却エリアも
もちろんスケジュールを変更するだけではありません。
会場には競技後すぐに馬を冷やせるよう、冷却エリアが用意されていました。
大量の氷や水も準備されています。
日陰を確保し、できるだけ早く馬の体温を下げられる環境を作る。
そして獣医師や大会関係者が気象条件と馬の状態を継続的に確認する。
「暑くなったら騎手やグルームが頑張って冷やしてください」
だけではなく、大会側も最初から馬を冷却できる設備を用意しているわけです。
競技前の管理はもちろん大切です。
同時に運動によって上昇した体温を、競技後にいかに早く下げられるかも暑い日の馬にとって重要になります。
世界選手権ではそのための環境を大会全体で準備していました。
🏟️ 東京五輪で得た経験も生かされている
そして日本にとって少し興味深い話があります。
今回のアーヘンで行われた暑熱対策には、東京オリンピックで得られた経験も生かされているとされています。
2021年に行われた東京大会では、日本特有の高温多湿な夏への対応が大きな課題になりました。
競技時間を朝や夜へ移す。
馬を素早く冷却するための設備を整える。
気象条件を細かく監視する。
さまざまな対策が行われました。
東京大会は「暑さとの戦い」という印象を持っている方も多いかもしれません。
でもそのときに蓄積された経験や知識が、
5年後のアーヘンでも暑熱対策に生かされていると考えると少し見え方が変わってきます。
日本の厳しい夏の中で行われた大会が、
その後の世界の馬術競技にとってもひとつの大きな経験になったということなのでしょう。
🌿 「暑さに慣らす」だけでいいのでしょうか
ここで前回取り上げた「音」の話とも少しつながってきます。
競技馬には以前から「いろいろな環境に慣らす」ということが求められてきました。
暑さについても暑熱馴致を行い、日頃からコンディションを整えることはとても大切です。
ライダーやグルームが馬の状態を見ながら適切に水分を与え、
競技後にしっかり冷却することも欠かせません。
でも今回のアーヘンではそれだけではありませんでした。
「暑さに耐えられるよう馬を準備する」
だけではなく、
「暑い時間には競技をしない」
という判断まで行われています。
つまり馬を環境に合わせるだけでなく、
「環境の方を馬に合わせることはできないだろうか」
という考え方です。
これは近年の馬術界でより大切にされるようになっている、
ホースウェルフェアの考え方とも重なるのではないでしょうか。
☀️ 人間が変えられるものは、変えてみる
気温そのものを人間が下げることはできません。
でも、
「何時に競技をするのか」
「どこで待機するのか」
「日陰を用意できるか」
「すぐに馬を冷やせる水や氷があるか」
「暑さが厳しい時間帯を避けられるか」
といったことは人間側で変えることができます。
これまでは「その条件の中でも競技できるよう馬を準備する」
という考え方が中心だった部分もあったかもしれません。
もちろんそれはこれからも必要です。
でも同時に、
「馬に頑張ってもらう前に、人間側で変えられるところはないだろうか」
と考えることも、これからますます大切になっていくのではないでしょうか。
☀️ 日本の夏を考えると
日本の夏は高温だけでなく、湿度も高くなります。
アーヘンの世界選手権を見ながら、
「海外だから特別な話」
とは言い切れないように感じます。
むしろ日本で夏の競技を行うからこそ、参考になる部分も多いのではないでしょうか。
私たち自身ができる冷却対策はもちろん大切です。
でもそれだけではなく、
「競技時間はこの時間でいいのだろうか」
「馬が待機する場所に日陰はあるだろうか」
「競技後すぐに馬を冷やせるだろうか」
「暑さが厳しくなったとき、予定を変更する選択肢はあるだろうか」
そんなところまで含めて考えることが、これからの暑熱対策なのかもしれません。
🌿 「暑さに耐えられる馬をつくること」と「馬が無理をしなくてもいい環境をつくること」。
どちらか一方ではなく、その両方から馬を守っていく。
「馬を暑さに慣らす」だけではなく「馬に合わせて競技環境を変える」。
アーヘンで行われた今回の判断は、ウェルフェアを考えるうえでひとつの大きな変化を感じさせる出来事だったように思います。

